ナイジェリアで女子生徒200人超拉致

火曜日の報ステでも取り上げていましたけど「ナイジェリアで女子生徒200人超拉致」(http://www.tv-asahi.co.jp/dap/bangumi/hst/news/detail.php?news_id=38394)は特に小川さんが読むと、聞いていられないくらいの事件です。

皺寄せが来るのは常にこのようなところです。

本当にめちゃくちゃな話ですが、ナイジェリアは産油国であって、富の偏在が背景にあるみたいですね。

こういう時に欧米は速やかにその偏在をなくさせるような政策をとるように勧告すればよいのですが、むしろ独裁政権と結びつくんですよね。そこから利益を吸い取る。

そして内部で争わせたうえで、「国境なき医師団」などを送り込んで、人権を守っていますとアピールするんですよね。ノーベル平和賞を取ったこの団体ですけど、こういったシステムの屋台骨を支えているようで、個々に「良心的」な人はいるんでしょうけど、全体的に観たときに私は非常に疑問に思っています。

今回も局所的にはこの部分について人権侵害であると欧米はプレッシャーをかけるのでしょうけど、そもそもの富の偏在を断ち切らないと根本的な解決策にはなりませんよね。

「マンション買わされ…“デート商法”急増」(http://www.ytv.co.jp/press/mainnews/TI20140167.html)は銀行も金額が割高であったりローンの不自然さに気が付くと思うんですよね。

そこについてはどこも触れません。原発の問題もド急所は銀行なのにやりませんし、消費者金融の取り締まりに疑問を呈する特集をするなど、銀行とメディアのずぶずぶ具合が酷いです。銀行に触れないで何を報道しようというのか。

バブルの時も、銀行のずさんな貸し出し実態などをメディアがかぎつけていて良かったんですよね。そういったずぶずぶの反省もなしに、どれだけ癒着するつもりなのか。

おとなしい日本に対して「反原発デモの市民ら幹線道路を占拠、警察が放水で強制排除/台湾」(http://thepage.jp/detail/20140429-00000010-wordleaf
も「首相失職 タイ国内対立に拍車…双方がデモ呼びかけ」(http://sankei.jp.msn.com/world/news/140507/asi14050721270007-n1.htm)も自分の意見を表明するという点でとても立派だと思います。
民主主義の到達度という点で日本は爪の垢を飲まなければいけないと思います。私が知る限り誰も日本の論壇でそのことを率直に認めて表明しないのがとても残念です。

そしてその後れを取った理由は、私が申し上げるところの「引き算の民主主義」といった発想が無いからだといえます。

そもそも総研はフィリピンの米軍再駐留について。

フィリピン基地内に場所を借りるのであって、友人の家に間借りをする感覚であって、米軍基地を再び作るのとは全く違うとのこと。移転などもフィリピンの単独ででき、思いより予算も無く、むしろ米軍が払っている、とのこと。

沖縄とは全く違う状況であるとのこと。

米軍基地がなくなって「基地があった時代の3倍~5倍の雇用を生み出している」といった具合に特区になって発展したらしく、現地の人もアメリカに戻ってきてほしいと思っている人はほとんどいないとのこと。アメリカ軍を追い出して後悔している人は、元大使が聞く限り高官から庶民までいないとのこと。

フィリピンは「駐留なき安保」で十分安全が保たれているとのこと。現代の兵器性能では、駐留すること=安全保障ではないという部分を玉川さんは強調。

テレビメディアが伝えているのはこういった内容のすべて逆です。いったい、どのような見識で報道を行っているのか。ここでも政府と癒着して報道が曲がっているとしか考えられません。

その前の「小泉・細川タッグ“原発ゼロ”で再始動」(http://www.tv-asahi.co.jp/dap/bangumi/hst/news/detail.php?news_id=38413)では松尾さんと玉川さんが激しい論争を。二人ともリベラルといって良い人で、小泉の脱原発はリベラル同士のけんかの種だなという印象。個人的にはどんどん喧嘩をした方が活気が出ると思っています。

松尾さんの、脱原発派の人は効率より思想の人が多い、という部分はらしくない表現。核武装派やモンスターシステム維持派のほうが思想(???)優先で効率度外視です。最低、原発は効率も悪いということを述べて、「貧乏神話」に流れない工夫が話の中で必要だったのではないか。

社団法人の名前に「脱原発」を入れるか入れないか、で内部が揉めたらしく、二人はそれが良い悪いということを言い争っていましたが、私はどちらかというと玉川さん持ちですね。

脱原発が良いとは毛頭思っていなくても(もしくは一時の利益のための看板だと思っているだけなのに)利益にあずかりたいためにちょこちょこくっついてきている議員がいるという認識が必要です。都知事選の時もそういう人間のために方針が歪んだ、という話をしているのですが、松尾さんはどうもそこら辺を飲み込んでいないと思います。

名前に脱原発を入れない方がマイルドで人が集まりやすいというのが松尾さんの主張ですが、名前に限らない内部のたわみがすでに名前に表れてきてしまっているという視点が大切です。名前は外身に止まらないのです。

ぶれないために名前に一番の方針を入れるのは一つの鉄則だと思う。名前に脱原発を入れなかったのは、将来民主党的な感じにたわんでいく予兆のように感じられるのです。

こういう風に、違っても一致できない人は狭量だというような意見の人も多いですが、やっぱり参加する人の心の中心というものをしっかり観なければなりません。将来に民主党の末期的な状態に陥る可能性を内包するでしょう。

例えば拉致被害者の方々は、歴史修正主義的なグループを取り込んだがために韓国の拉致被害者の方々と連合できませんでした。運動の初期にはこういった人たちが文字通りエネルギーになったのでしょうが、長期の展望ということでは足を引っ張ったと思っています。どんな人たちでも取り込めば運動が盛り上がるというわけでは無いのです。心の邪な人間や、過去の行動から言って良くない流れの中でこういう運動に参加しようとしている人は、適切に指摘し、論争し、枝切りをしてこそ、しっかりと運動の芽は育っていくのです。

そのようなことを民主党や近々の都知事選で皆が知ったはず。

そういう意味では、小泉・細川の脱原発の流れ自体が、地域分散ではなく企業主体の新自由主義的な考えで行われて、あらぬ方向に行ってしまう可能性も大いにあります。

その人の脱原発の主張自体の性質も、過去の行動を含めたコンテクストの中で捉えなければなりません。

ネットでも脱原発という表現はネガティヴだというこの回の松尾さんの発言が波紋を呼んでいるようですね。否定だからネガティヴだの一点張りでしたけど、それだと待機児童をゼロに、といった表現もネガティヴだということになってしまいます。

脱原発という言葉は当たりが強いという感覚があるのだとすれば、その風潮そのものにくさびを打ち込むのが本筋です。

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