袴田事件

3月28日の金曜日のモーニングバードでは袴田事件について、一茂さんが、証拠を捏造した人は捕まらないのか、と大澤弁護士に質問。

誰も言わないですけど重要なことで、一茂さんの衒いのない率直さが表れている質問だと感じました。

時効で罪は問えない、裁判で理由を聞きだすぐらいはできる、という答えですが、そうであればメディアが直撃するべきところといえるでしょう。

罪に問えないとしても警察は捜査をしなければなりませんし、メディアはそれを促さねばなりません。そのような動きが皆無なのは、一番大事な部分が欠落しているといえます。

報ステでは古舘さんが「検察・裁判所は反省してもらいたい」というのがせいぜいでしたけど、「反省」ではまったく足りない事例です。

大澤弁護士はDNA鑑定の向上を理由に挙げていましたが、裏の「とくだね」ではDNA鑑定が発達したから、というような事件ではないと指摘。

こちらの番組では可視化についてふてれいましたけど、これも意外なほどに報道で出てきませんよね。

また大澤弁護士は、当時の最高の人材が精密な審議で下したの重みがあった、といっていましたが、このような捏造を放置すること自体が軽からしめることなのではないか。

それでいまだに「重い」などと称するのは、権威主義の張りぼてであり、次の同様の事件を準備することにつながるのではないか。それこそが今回の事件の原因だったのではないか。

独裁国家で恣意的に罪に陥れられるというのはわかりやすいですが、精密な過程を経ているんだ、という表面を取り繕いつつ捏造を紛れ込ませるのはいっそうたちが悪いとも言えます。

永六輔さんのラジオで言うには、精密司法というのは検察が出してきたものを精密にみるということ。(裁判官と検察は)言ってみればお仲間なわけです。とのこと。精密というと全体的に観て精密だという印象を与えますが、局所的に見ていくというだけで、全体的に観れば精密とは言えないといえます。

ともすれば精密司法という言葉は張子の虎といえるでしょう。

それにしても、検察べったりの大澤弁護士でも微妙にごまかすくらいが限界だったのではないでしょうか。

「抗告は筋が通っている」という発言も問題になっていますが、このような異常なほどに検察べったりなコメンテーターを使い続ける番組側の感覚も極めて疑問です。

また、当時の責任者などの名前を報道し、その情報に市民が自分からも簡単にアクセスできる状況を作らねばなりません。

ネットにはメディアを通さない、直接的な関係者の証言が溢れています。

似たような事件で、獄中で亡くなられたり、いまなお検察に死を待たれている人は多いとのこと。

袴田さんの動きが不自由な雰囲気に対して、飯田泰之さんはストレスで外部刺激を受け付けなくなっているのではないか、という分析をしていましたが、他の報道によると、痴呆を患われているとのこと。本当に危ないところで生還できたといえます。

この事件での報道の怠慢の責任は各所で指摘されています。その検証を行って、さらには類似の事件の掘り起しは当然行うべきことと言えます。

また、メディア自身の検証は当然俟たれます。

荒川強啓さんのラジオで北丸雄二さんがいうには、最初に検証を行って本を出版したジャーナリストがいた。その成果を受けて、大手メディアがキャンペーンを張らなければならなかったが、張らなかった。官からもらった情報をそのまま流すのがジャーナリストだということになっている、とのこと。

「トリハダ[秘]スクープ映像100科ジテン」ではアメリカの冤罪事件を特集。袴田さんはギネスに載りましたがこちらも27年。大変なものです。

一方でこちらは証拠を捏造した捜査官は逮捕されました。

スタジオでカンニングの竹山さんは、日本の冤罪事件の捜査官に対して、のうのうと退職金や年金をもらって暮らしていて良いのか!とブチ切れ。

他の人は言いませんが、言わない方が良いと思っている人はいるのでしょう。竹山さんはさすがに切れ芸のプロで切れるべき時に切れたと言えましょう。

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