(文芸時評)歴史は語る 刻まれた失敗、希望の糧 片山杜秀

「(文芸時評)歴史は語る 刻まれた失敗、希望の糧 片山杜秀」(http://www.asahi.com/articles/DA3S11111506.html)はいきなり欄の担当が片山さんになっていてびっくり。

前のこの欄の担当の人のは、驚異的な位に全く読む気を起こさせない、どうでも良さそうな内容でしたからね。こういう時代の文学の役割はそれくらいのものなのか、といいたくなります。


そもそも片山さんが文学を読む話を聞いたことが無いくらいなんですけど、どうなるんですかね?今回のようにどちらかというとノンフィクション的な要素を持ったものを扱っていくことになるのでしょうか。




冒頭でいきなり、古事記の古代歌謡を政治的に解釈していましたけど、あれは無文字社会に普遍的にある歌謡による歴史の継承でしょう。

片山さんの構想力は素晴らしいんですけど、私などが良く知っている分野だと粗や強引さが目立つのも確か。

伊福部昭さんを尊敬する片山さんは、日本の芸術がわびさび系の地味なものだというのは本当か、という問いを発してらっしゃいますけど、これと同じように、日本曖昧説も違うと思うんですよね。ここでは無理やりそういう方向に持って行こうとしているのではないでしょうか。
(ただ、本質的な話をすれば、外面的に賑々しいからと言って、そこにわびさびの精神が無いとは言えない)


日本曖昧説は新潮45で最近片山さんが批判している司馬遼太郎の日本論の宿痾だと思います。こういう自己認識は「無責任時代」の中、戦後に広まったと私はみています。


論理的に精緻な直江状や、光成が挙兵したときの家康の諸将への演説や、山岡鉄舟や勝海舟の西郷との会談、北条政子であるとかのように正面からの論理的で明確な渾身の説得が日本の政治を強力に動かしていったに違いないのです。




本論は「四方の海 みなはらからと 思ふ世に など波風の 立ちさわぐらん」(四方の海にある国々は皆兄弟姉妹と思う世に なぜ波風が騒ぎ立てるのであろう)の解釈。

これも、曖昧な文化にしてやられたのではなく、当時の天皇として表明できるのはこの程度だったか、責任を回避したということでしょう。

制度的・慣例的な枠と、白川静さんが良くいうような開戦に反対したら暗殺も辞さないといった(そういったものが無かったとしても)軍部のプレッシャーなどが正面からは反対させることを許さなかった。加えて無責任でしょう。


「してやられた」という解釈はおかしい。明治天皇歌の引用であるというのも、平和の国是を強調するためと、本人に対する反発を弱める工夫でしょう。昭和天皇にとっても開戦はリスキーだったはずですからね。

そういったせめぎあいの中で意図的に選択されたはずなのです。

片山さんは絶賛している解釈ですけど、私は極めて疑問に思います。


こうやってみると、こうした和歌による政治的意思の表明を日本に普遍的なものと解釈して、教訓的にまとめていますが、実際は特殊なシチュエーションでの特殊な表明のしかただったといえるでしょう。



「してやられた」ということになれば、天皇本人に過失はない、ということで文化に押し付けることができる。本当はそうではないのです。これは無責任の論理の再生産であって歴史家の保身による責任放棄だと思います。




ちなみにこういった本では「井上清史論集〈4〉天皇の戦争責任 」((岩波現代文庫) 井上 清)は好著ですけど、白川静さんが言うように本当に暗殺の恐れなどがあったのなら、それに触れないのは少し不公平なのかなとは思います。


この本には天皇が具体的に指示をしたことがいろいろ書いてあり、政治的な意思表明は和歌のようなあいまいな形する伝統があるとする本稿の論旨と矛盾します。

またそれは「聖断」を待つまでもなったということであり、本稿の事実関係の叙述は怪しいと言わざるを得ないのではないか。

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